blog de mimi | Photos. articles about exhibitions, artists and events. Essays. Announces.

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Posted by Miki OKUBO on  | 

grande gare


    gare1.jpg


    gare2.jpg


    gare3.jpg

    大きな駅は絶えずたくさんの人で溢れており、
    ぎりぎりに到着して走り回る人、
    切符がないけれどいずれやってくるかもしれない奇跡をひたすら待っている人、
    大切な人を迎えにきてずいぶんと早く着いてしまった人、
    もうここには戻ってこないと心に決めて電車に乗り込む人。

    駅には流れもスピードもあるいっぽうで、
    駅自体が終着点であるという封鎖感が空気をよどませる。
    格好いいフォルムの電車の一等席にのりこむ人と、
    座席のビニールがはがれてスポンジがはみ出した車両に長時間揺られる予定の人が
    とても近くですれ違って、すたすたと、お互いのポイントへ向かってゆく。

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    Category : photo
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    エスパニョールレスト


      スペインレストラン1

      演奏会が終わっておなかが空いていたので
      ムフタール通りにあるレストラン、CASE PEPEへ。
      CASE PEPE http://www.lacasapepe.com
      店の中は半分スパニッシュを喋る人々。
      ギターと歌でスペインのシャンソンを熱唱する人、踊る人。
      夜中の12時過ぎだったけれど、食事ができる珍しいレスト。

      パエリア

      パエリアってお米をちょうど良い水の量で炊く親近感のわく料理。
      このパエリアはお魚やエビ、イカと野菜、さらにはザリガニが入ってました。
      ザリガニすごいおいしいらしくて、友人が皮を剥いてあげるよ、って親切にしてくれたんですが、
      こどものとき育てていたので、ちょっと食べられないと支離滅裂なコメントをしてしまう。
      ダンサーのお姉さんはお化粧をした目元がすごく素敵で笑いかけられてどきどきする。
      週末は2時半過ぎまでご飯が食べられるらしいです。

      Category : journal
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      concert de la Musique en Sorbonne

      concert de la Musique en Sorbonne
      au 29 juin à 20h30
      au Grand Amphithéâtre de la Sorbonne
      http://www.musique-en-sorbonne.org/

      ce concert était le dernier concert de séance.
      j'ai aimé beaucoup jouer dans cet orchestre, avec tous les membres.
      j'attendrai le prochain pour réaliser la magnifique soirée musicale...



        concert sorbonne1


        concert sorbonne3


        concert sorbonne2

        同時に一つしか音が出ない楽器を演奏するひとにとって、
        オーケストラで演奏するのは比べるもののないすばらしい経験です。
        とりわけ音楽性のすぐれた指揮者やソリストと演奏できること、
        色々なメンバーと音楽を共有できることは、かけがえのない何かをいつも私に与えてくれます。
        それは時に私を打ちのめすこともあるし、自身を与えてくれることもある。
        個人的な弱点を捨て去ることはできなかったけれど、
        全体をゆっくり見つめるなら、昨日はとてもよい演奏会ができたと思います。


        Category : journal
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        mannequin

        今日所属しているオーケストラの演奏会があります。
        日本にいたときはオーケストラをいくつもしていたので
        演奏会を何ヶ月もしていないと全身の神経や緊張感が鈍ってきます。
        音楽にせよ書き物にせよ、喋ることや演技をすることにせよ
        表現することはある程度ひとりぼっちですることであり
        成功したときの気持ちよさと引き換えに、強い責任とストレスがそこにはあります。

        どうしてわざわざ自分にストレスを与えるような場面をつくるのか
        それもひとえにうまくいったときに得られる恍惚とした快感が忘れられないからでしょう。
        そしてそのようなことは訓練を怠るとたちまち神経がひ弱になってなまってしまう。

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          音楽があることはとても良かったと思うけれど
          私のレベルは、ないというよりはある、といったたいしたことのないもので
          たとえば頭の中に浮かんだ風景とか色とどれくらい再現できるんだといわれたら
          ほとんど満足のできない程度にしか表す技術がない。

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          いま当たり前のようにできる表現やフレージングや色合いは
          私の中にあったものなんかではもちろんない。反復して身につけたものばかりだ。
          そう思えば、ここ5年くらい、新しいアイテムを手に入れる為に苦労した記憶がなくて
          持っていたオブジェを使い回していたことに気がつく。
          ほんとうはもっと新しい部分に踏み込んで、上達することができるのではないかと
          ごく当たり前そうで、時間をとって見つめなければ見えなかったことを静かにつかむ。

          Category : photo
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          picnique concert

          RERにのって、パリを南下すると森がたくさんある。
          よく晴れたあおい空にはぴかぴかの楽器と
          元気でカラフルなこども音楽家がよく似合う。

          昨日はホルンとフルートを中心としたピクニックコンサートに参加しました。
          バスに置いていかれ、絶体絶命の状況で汗だくで森を駆け抜けたら演奏予定時間に到着。
          橋には既にホルニスト達の姿。

            picnic1.jpg

            さっくりタイタニックを演奏し、灼熱の中悲哀なラブストーリを思い出しながら
            次の場所へ、いどう、いどう。

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            水面に反射する景色はこんなにはっきりしていると描く意味もないように感じてしまう。
            つまり、すべてがクリアーで何も隠されていないので、見るだけでよい、そんなイメージだ。

            picnic25.jpg


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            小さなスケッチブックをもって鮮やかな色の服を来た可愛らしいおなご発見。
            ただそこにあるというだけなのに、愛らしく自然的均衡を感じさせる風景。

            picnic4.jpg

            ホルンを吹いているので、カメの甲羅みたいなずんぐりしたホルンケースを背負って
            自転車に乗ってびみょうに左に傾いたり
            電車の中で邪魔にされたりしていると
            フルートって、持ち運びにべんりそうだし
            吹いている姿は森の妖精のように優雅で涼しそうだし
            いつもクールなんじゃない、なんて思ってたけど
            さすがにこの日はみんな汗だくで、そうか、
            フルートも結構疲れるし暑いんやってことに改めて気づく。

            picnic5.jpg

            帰りがまた大変で3時間弱くらいかけて瀕死の帰還をし
            翌日も夏バテ気味プラス膝下が強烈に筋肉痛という症状。
            太陽の下に長時間居るのは苦手です。なぜならそれをしてこなかったから。
            頬がぴりぴりして、手の甲が色濃く見えて、夏って、あつくるしい。

            Category : exposition
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            すげえ暑いこと

              暑い日

              今日、すごい暑いんです。
              31℃と言ってたけど、もっと暑いんじゃないかと思います。
              すごい暑いかどうかは、温度というのはあんまり関係なくって
              たとえば今日は森でピクニックコンサートがあり、
              朝から楽器を背負ってバスを乗り継いで、森ではひなたに立ちっぱで。
              帰りは道に迷い駅に着かず延々歩き回り、そのときもやはり世界に影はなく。

              すげえ暑いんです。
              日本は湿度が高いから35℃もある日にはもっともっと瀕死だったなあと
              それと同時に、冷房が完備されているから(札幌はそうでないけど)
              建物の中に居ると寒くて苦痛だったなあとか
              人間の身体って、もっと適当に守備範囲広く、差異に無頓着にできてたらいいのに。

              ひまわりに水をやらなくちゃとおもう。
              カメを飼い始めてなくてよかった、茹でカメになっていたかもとも思う。
              黒猫は黒いが為に夏バテしてるのかもしれない。
              サーモンのキャットフードが腐る前に戻ってきてくれないと、こまる。


              暑い日2

              Category : journal
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              concert pour le Japon

              CENTRE 72

              Samedi 25 juin à 20h30
              CONCERT POUR LE JAPON


              par musiciens japonais de l'Orchestre de Paris

                centre72 1


                centre74 1


                centre74 2


                centre74 3


                centre74 4


                centre74 5

                Jean-Sébastien BACH/ Suite pour violoncelle seul N2 en ré mineur
                Wolfgang Amadeus MOZART/ Duo en Majeur pour violon et alto K 423
                Miklos ROZSA/ Sonate pour deux violons op 15a
                Anton DVORAK/ Quatuor à cordes N12 en fa majeur op 96 "Américain"

                Category : photo
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                無題


                  mikiconverse.jpg

                  自分しか居ない部屋から一歩外に出て
                  たくさんの人が防御服も盾も矛ももたずに
                  心もとなくも身一つで世界を歩いている場所には
                  人を攻撃する輩がどこかいつか必ず存在しており
                  それが運悪く自分のもとへ舞い降りてきてしまうという事態は
                  ほんとうは運でも神様の選択でもなくすべての人に公平でもなく
                  否定できないバイアスを伴って必ずある人にすり寄る。

                  それでも窓の閉め切られた部屋に三日間と籠ることができずに
                  少なくとも数人の心許せる人に恐れずに対面することができるのは
                  当たり前でありつつも幸いでありしかし最小限のことである。

                  Category : message
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                  文章



                    nuit noel1

                    最近メトロの中で村上春樹氏の1Q84をずっと読んでいて
                    2回逆方向にのって、なんと終点まで辿り着いた。
                    普段メトロでは、鞄や手荷物の安全が気になるので
                    あまりリラックスして読み物を読んだり仕事することはできず
                    50%はiPhoneでテトリスをして(これはむしろ危険)
                    のこりはだいたい軽めの記事とか雑誌のページなんかを読んでる。
                    あるいは林檎をほおばっている。

                    小説を読むと、とりわけときどきその後頭がうまく働かなくなったり
                    急にネガティブになったり意味もなく詩的なことを思ったり
                    人生を難しく思ったり理屈っぽくなったりするので
                    めんどくさいなあと思ってしばらく読んでいなかった。
                    小説のような文章を書いたときも、決まって同様の症状に陥る。

                    文章というのは、
                    美しい肉体でダンスを踊ったり
                    よい音色で極上の音楽を奏でたり
                    鮮やかで香りのよい料理を深く味わったり
                    そういった経験とはかけ離れて地味なメディアである。
                    けれども、音楽や肉体自体が表しきることのできない、
                    というよりは、音楽や肉体で表すには直接的すぎるものを
                    スマートでオシャレに描く器用さがある。

                    頭が働く限り続けることができるかもと、
                    他のいわゆる手段と比較して思うけれども
                    すてきな文章のために「頭が働く」というのはそれだけで既に
                    とても特別なことであるので、そんなことはないかと、納得する。


                    nuit noel2

                    Category : journal
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                    かわる性質とかわらない性質

                    一年くらい前に
                    フォトジェニックな写真について
                    文章を書いたり考えたりしていたときに
                    つくった真っ白なイメージです。

                    色合いくらいしかいじっていないけど
                    知らない人みたいに思える視点がわからない写真。

                    いま自分がPC内に整理したりディスクに蓄えたりして
                    残しているデータは「蓄えて」いるのだから
                    増えるばかりである。
                    これから作ったり加えられていくイメージデータは
                    おそらく莫大な量になって
                    世界の人たちもそれぞれがたくさんのデータを持っていて

                    自分の身体よりも多分ずっと丈夫で朽ちないメディアは
                    私とかだれかのイメージをのせたまま
                    私がいなくなった後もずっと残ってゆき
                    たとえばインターネット上にのこる私のイメージなども
                    消えないでひょっとしてずっとずっと在るのかもしれない。

                    現代を生きる人はそういった点で
                    匂いも肌触りも伴わないけれど
                    そこに存在していたということが
                    イメージによって確かであり、
                    そのことは、不確かすぎる生の不安からときどき人を救う。


                      mikired.jpg

                      Category : photo
                      Posted by Miki OKUBO on  | 0 comments  0 trackback
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