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Posted by Miki OKUBO on  | 

ぼうふうりんの想い出

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    生れ育った新琴似の町と屯田の町の間にはぼうふうりんがあった。
    過去時制で書いたが今ももちろんある。
    数年前に訪れたが子どもの頃そうであったよりもずっと整備されて綺麗だった。
    ぼうふうりんは小学校の校区の境目に位置していたので
    子どもの私にとってそこはいわば一つの世界の区切れ目であった。

    父親の子ども時代でないのだから、
    20年前の新琴似と屯田はすでに十分に住宅地であり、
    ぼうふうりんが身体を張って守るべき一面の畑などもはや何もなかった。
    だからこそ、ぼうふうりんがそこにあり続けることは奇妙であり、
    世界の境界線として妙なオーラを発していたように記憶している。

    小学校3,4年生の頃、ひとりの友人とよくぼうふうりんで遊んだ。
    ただ散歩しても全く面白くないのだが、ロープやら木の板やらを持ち込んで
    ブランコだの隠れ家だのどこかの児童小説で読んだ遊びの真似事をして
    一度は偶然地元テレビ局に取材され、ローカル番組で報道されてしまった。
    なにが楽しかったかどうして毎日のように通ったのか思い出せない。

    ぼうふうりんは私にとってもうひとつ大切な想い出のある場所である。
    北海道の夏は今よりずっと短かったように思うのだが、
    父は毎年羽化のために長い眠りから覚めて地面から出てくる蝉の子を
    たいせつに捕まえてきて家で羽化させては翌朝放した。
    私は夏の自由研究のうちの一回を蝉の羽化観察ですませさえした。
    今となっては写真がどこにあるのか、あるのかないのかすら分からないが
    羽化したての薄い緑がかった透き通ったような蝉は殊のほか美しく、
    透き通ったまだ柔らかい羽と身体はまるで宝石のようだった。

    今でも森や林をあるくと蝉の子どもの出てきた穴がないか地面に目をやり、
    枝に抜け殻がくっついていないか知らず知らずのうちに確認してしまう。

    あの薄い緑色も鮮やかな木々の緑色もきっともともと同じ色だったのではないかと、そう思う。

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