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Posted by Miki OKUBO on  | 

Souvenir of Biwako lakeside


    biwalake.jpg

    昨年末に、比良のギャラリーサラさんで個展をされていた、
    写真家の松田有加里さんのFantasiaにお邪魔した際、
    湖西線に乗り、近江舞子で降りました。
    (松田さんの展覧会については、salon de mimiに掲載しました)
    この日目にした琵琶湖と空の様子です。とても綺麗でした。

    私は今は車を運転しますが京都ではしていませんでしたので、
    しばしば知人が琵琶湖を一周したら気持ちがいい話などを
    右から左に適当にしか聞いていなかったのですが、確かに良さそうです。

    琵琶湖というのは、私にとっては和邇と浜大津です。
    両方音楽関係で通った場所です。

    和邇は、まだ滋賀県と京都府と琵琶湖の位置関係もわからなった
    大学1年生の夏から大学4年生でオーケストラをやめるまで
    京都大学交響楽団の全体合宿が和邇の合宿場で行われていたので
    オーケストラ全体で年2回、その他も併せて年に何回か行きました。
    私には珍しく、幾つかある敷地内の建物マップまで覚えています。
    ちなみに、今はさも琵琶湖の地理が明瞭に分かっているかのように上述しましたが
    依然としてぜんぜん分かっていません、やはり一周するしかありません。

    浜大津は、大津ユースオーケストラというオーケストラに所属していた時
    練習が浜大津でしたので通いました。
    私はこれまでオーケストラのオーディションを受けたことが3回ほどあり
    あたりまえですがすべてアマチュアのオーケストラですが、
    ここのオーケストラを受けたのが初めてのオーディション経験でした。
    よく覚えているのですが、チャイコフスキーの交響曲第4番の
    一楽章冒頭を思いっきり吹くという、今思えば、そうですかっていう物なのですが、
    前日から当日直前までゲルギエフの当時流行っていたCDを充満させて
    なんだか吹いたのですね。それで運みたいな話ですが良い経験が出来ました。

    2度目はソルボンヌのオーケストラを受けたときですが、
    この時もフランスに来たばかりだったのですがオケで楽器が吹きたくて
    お友達もいなくて一人でオーディションに行きました。
    つまり、ピアノ弾いてくれる人がいなかったってことなんですが。

    そうそう、琵琶湖の話でした。

    だから、私にとって琵琶湖は
    和邇と浜大津とオーケストラと残暑と早春で
    構成されていたのです。
    そして、この間から
    比良山とギャラリーサラさんと松田さんの展覧会。
    それからこんな雲の様子などはこれまでとはちがって見えました。




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    Category : photo
    Posted by Miki OKUBO on  | 0 comments  0 trackback

    black cats

    sealcat1.jpg

    黒猫のシールをいただいた。
    目がぎらっとするところまでよく出来ている。
    そろっと歩くポーズもキョトンとしている姿もなかなかいいと思った。

    今月から大学で一つだけ授業をさせてもらっている他に、
    とある施設で日本語の教師に採用された。
    初級のクラスを担当しているので日本語をペラペラ話す人はいない。
    むしろフランスに生活していてその時だけ日本語を話すというのが
    どちらかというと違和感があるが、
    母国語を教えるというのはそういったちょっと違和感のあることでもある。

    どのように文章を読むのかとかどのように意味を掴むかを
    日本語という言語を介して教えるというのではなく、
    日本語を外国語として扱うという経験そのものはなかなか面白いものである。

    日々生活する中で、例えば私であれば現代の自己表象などについて考えたり書いたりしているけれど
    そのことと、生活を成り立たせるために行っていることが乖離して見えることがないわけではない。
    しかしそもそも、生活それ自体が本質的には多様性に満ちたものである。
    その内実に、一貫性や集合としての意味を求めることがそもそも悪しき妄想ですらある。

    黒猫のシールは私に子どもの時にシール収集していたことを思い出させた。
    貼ってはがせる紙をバインドした専用ノートに、列に並べて大きさをそろえて、
    集めたシールを貼っていくのである。
    時々は大切にし過ぎて、貼ってはがせる紙と言えど、はがれにくくなる。
    あの、ハッキリ言って無駄な営為、もともと台紙に綺麗に並んでいるシールを
    はがして貼り直していくという、超無駄な営為に傾ける労力と時間。

    それでも、そのことによって何となく嬉しくなれるという、
    そういうハッピーな瞬間をじわっと感じさせてくれるもの。
    たとえば黒猫のポーズや目のぎらっとしたのを観て楽しくなるようなこと。

    そういうのは、ただそれだけでなんだか良く、
    黒猫のシールはそれゆえにありがたいと思う。


    sealcat2.jpg




      Category : journal
      Posted by Miki OKUBO on  | 0 comments  0 trackback
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